プロフィール
HN:
豊(ゆたか)
年齢:
29
性別:
非公開
誕生日:
1994/10/27
職業:
寝デブ引き篭もりニート
趣味:
アニメ見ること
自己紹介:
分布:ジョウト地方のコガネ付近
タチコマたんかわいい。 色々
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最近輪るピングドラムを見ました。 感想としては最近のアニメじゃ自分の中ではかなりドストライクで、多分久々の難解系アニメだったと思います。 ギャグもおもしろく女の子もかわいいし、なにより色々考えさせられます。涙あり笑いありで大満足の作品でした。 見てない方にもおすすめできる作品です。 まあそんなことはどうでもよくて。 久々の難解系アニメなので理解に苦しむところがちらほら。 なので自分なりに考察をしてみようかなと。 別に無駄に掘り下げて考察するのって好きじゃないし、基本は見たまま受け入れるタイプなんですけど、話を見てる上で「え、なんでこいつこんなことしてんの?」っていう要は自分の聞き漏らしとかで理解できてないところがあるんですよ。 だからまあそういうのも踏まえて自分なりに考察してみようかなって思いまして。 続きからで考察しますが恐らくというか絶対壮大なネタバレ入ってるんで最終話まで見た方のみ読むことをおすすめします。 ほんと最後まで見るのと見ないのとで見方も変わってくるアニメだからほんと最終話まで見た方でお願いします。 とりあえず分からないところを挙げていくと。 ・運命の至る場所ってなに? ・昌馬の言ってた罪やら罰やらってなに? ・運命の乗り換えってなに? ・呪いってなに? 他にも色々あった気がするけどこの四つしか思い浮かばなかったでござる。 んで考察なんですが。 まず、ピングドラムとはなにか。 自分が見た感想では、まず「愛の結晶」って感じだと思いました。 色んな考察サイトをみると愛=命=ピングドラムみたいな感じだったんですが、まあ多分間違ってはないと思います。 多分命って言うのが一番近いと思います。この世界は「愛を失った者が死んでしまう」ような場所だと思うんですよ。 つまり「愛される者は生きている」、愛≒命なんだと思います。 でも愛=ピングドラムっていうと個人的にはちょっと違和感を感じるので、命=ピングドラムじゃないかなーと思っています。つまり命ってのは愛の結晶なんですよ。 この話の中の運命の果実、まあ林檎なわけなんですが、これで言うと林檎=愛の結晶=命=ピングドラムで繋がるのではないかなと思います。 こどもブロイラーとかは愛を失った子供たちが行きつく場所、世界から消えて透明になる場所、つまり誰からも愛されない、希望をなくした子供たちの自殺場所ってイメージです。多蕗くんと陽毬ちゃんは自殺寸前にそれぞれ愛の結晶、ピングドラムをもらったんですね。 もうひとつ分からなかったのが、プリクリ様はどうして「荻野目苹果がピングドラムを持っている」と言ったのか。 だって最終的にピングドラムを渡したのは冠葉くんだったじゃないですか、どうしてピングドラムを持ってるのは苹果ちゃんだって言ったのか自分にはよくわからなくてですね。それが日記だと言うからちんぷんかんぷんでしたよ。 まあそれは二周目を見てるうちになんとなーくですが分かった気がしました。 要はプリクリ様は最初から日記の中に呪文があることに気付いてたんじゃないかと。 まあ呪文とは関係なくとも日記の中にヒントがあるのは気付いてたんじゃないでしょうか。 ていうかそもそもプリクリ様は桃果ちゃんの分身なんだから知ってて当たり前ですよね。 じゃあ直接呪文教えればいいじゃん!ってなるけどそこは大人の事情で教えれなかったんですよ。 そしてその呪文は「運命の果実を一緒に食べよう」、つまり「僕の愛の結晶を君に分け与えよう」、「僕は君を愛するよ」。 ちょっと分かりにくいかもですね、つまり呪文を分かりやすく言うと、「僕の運命を君と分かち合おう、愛してるよ」ってことなんじゃないでしょうか。 なので、呪文の意味を知る、呪文の意味に気付く、そうするとピングドラムに辿り着くよ、ってことで、「命は愛の結晶なんだよ」っていうのを知っていれば呪文を知らなくてもそれがピングドラムだよってことじゃないかなーと。 最終回の陽毬ちゃんはそれを知っていたから「これがピングドラム」って言ったんじゃないかと。あれ、言ったの陽毬ちゃんだったっけ? もう一つ仮説を立てるなら、その時苹果ちゃんは確かにピングドラムを持っていたんですよね。 ピングドラムは愛の結晶。その時の苹果ちゃんは多蕗さんを愛していた。 なので多蕗さんに対する愛の結晶があった。それがピングドラム。 っていうのも考えられますね。こっちに関しては日記とはあまり関係ない気もしますが、それは桃果ちゃんの運命日記に従って行われてる愛の行為って考えるとなんか分かる気がしなくもないです。どうなんでしょう。 でもプリクリ様は苹果ちゃんに対しておとなしく日記渡せやみたいなことも言ってたから個人的には前者なのではないかと思っていますが。 単純に呪文の意味に気付かなくてもそれを言ってしまえば(多分冠葉くんに言わせるつもりだった)陽毬ちゃんは助かるわけですし。多分ね。 作中の運命の人ってのは恐らくピングドラムをくれた人のことでしょう。 「輪るピングドラム」、要するに 冠葉から昌馬へ 昌馬から陽毬へ 陽毬から冠葉へ ピングドラムが輪っているんだよって感じから来てるタイトルなんじゃないかな。多分。 ちなみに陽毬から冠葉へに関してはちょっと曖昧です。ごめんなさい。 真砂子さんが陽毬ちゃんに冠葉を返せ的なことを言ったのは、元は冠葉くんのもので昌馬くんの手に渡り、昌馬くんから陽毬ちゃんに手渡されたピングドラムを返せってことじゃないのかな。 自分の解釈の中ではピングドラムは愛の結晶なので、冠葉くんの愛の結晶が実妹の真砂子さんではなく義妹の陽毬ちゃんの手の中にあるって言うのが気に食わなかったんじゃないでしょうか。 でも昌馬くんは冠葉くんにもらった愛をさらに半分にして陽毬ちゃんに与えてるので、真砂子さんが昌馬くんに当たらないのは不自然な気もしますが。妹って立場だからかな? 冠葉くんの檻の中に林檎があったのは、その頃の冠葉くんには真砂子さんとマリオくんに対する愛情があったからなんじゃないですかね。 何度も言うようですが愛の結晶=命=林檎=ピングドラムだと思ってます。 昌馬くんが伝えたい人(愛する人)がいなかったのに対し、冠葉くんは伝えたい人(愛する人)がいたので、檻に林檎があった。愛を持っている冠葉くんは昌馬くんに分け与えた。そういう感じかな? なんか分かりにくくなってきたんでピングドラムが輪ってきた経緯をまとめてみましょう。 ピクシブから引用します。 すげー分かりやすいですこれ^q^ でも、こう考えるとすると冠葉くん、昌馬くん、陽毬ちゃんはみんな家族生活の中で愛が生まれなかったってことになります。そう考えるとなんか悲しいですね。 でも作中でも表面だけ幸福の一家団欒みたいな感じに言われてたからそれもあながち間違いではないんでしょうね。 でも最終回で昌馬くんは苹果ちゃんに対して「愛してるよ」って言ってるので、冠葉くんから受け継がれた家族の愛というしがらみが全部なくなった状態になって初めて苹果ちゃんへの愛に気付いたってことなんでしょうね。 でもそう考えると本当悲しいですよね。 この家族三人には本当に愛はなかったんでしょうか。愛は生まれなかったんでしょうか。 「ピングドラム」の定義に関してはある程度納得できるまで結論は出ました。その定義上だけだと愛は生まれなかったことになりますが。 でも、多分愛はあったと思います。 これはなんとなくなんですが、まあよく言うことだけど数値化出来ないところにほんとの価値があるみたいな。 言ってしまえばお金で買えない価値があるみたいな。 ピングドラムっていう数値化されたストーリーの中では愛は生まれなかったことになりますが、多分この家族間にも愛はあったんですよ。そうであって欲しいです。 最後に「大スキだよ!!」って置手紙を残した兄二人の気持ちは愛の証だと思います。なんか自分がすごい恥ずかしいこと言ってる気がする。 さて、ここまでは「ピングドラム」に関して考察してきました。 正直自分ではピングドラムの考察だけで精一杯です。個人的には運命の乗り換えが何かってのも結構気になるんですが今二周目を見てる最中なのでそれを見てからまた考察してもいいかなって思います。 というかもう結構長く考察してきたんで疲れましたまじすいません。 PR |